【体験談】トランスジェンダーの父、離婚する【娘の記録】

LGBTQ
ミナミコ

はじめまして!私は、現在フリーライターをしているミナミコと申します。

やあ、ミナミコ。ブログを始めたの?

ミナミコ

そうなんです。やっと始められました。

ちなみに、どんなきっかけで?

ミナミコ

ふと思ったんです。私の人生、ちょっと特殊だから、どこかに残しときたいなって。

特殊?

ミナミコ

はい。私、トランスジェンダーに育てられた娘なんです!

この記事は、トランスジェンダーの父によって育てられた、とある娘の独白です。めずらしい境遇の人生を、物語形式でお読みいただけます。軽い気持ちでどうぞ!

 

01:トランスジェンダーの娘になった、最初の記憶

まだ、トランスジェンダーっていう呼び方もされていなかった頃。世間の目ももっと厳しかった、もしくは世間が無関心だった頃。

私の父親は、その頃から性同一性障がいでした。

 

幼かった私はずっと気づけなかった、のではなく、気にしていませんでした。

 

父は父です。

どんな姿かたちをしていようと、父が父だということは変わりません。

髪を長く伸ばそうと、女の人のようにメイクをしていようと、スカートをはいたところで「スカート履いてる~」とちゃかすくらいで、私にはなんの影響もありませんでした。

 

父は、「いい父親」でした。

職業はお医者さん。

大病院に勤めていたころは大変そうでした。

けれど、開業医の祖父が体を壊してからは、父が代わりに院長をすることになったため、自営業のお医者さんに。

自営業になったおかげで、父は家族との時間も増やしてくれました。

 

そんなわけで、父は、お医者さんとしてしっかりお給料もありましたし、私たち兄妹(長男、次男、私)とも遊んでくれましたし、あとは、立派な一軒家も買ってくれた。

 

ちょっと髪型や服装は「ふつう」ではありませんでしたが、「いい父親」をしてくれてるのに、なんの文句があるでしょうか?

 

ミナミコ
ミナミコ

ね、いい父親ですよね?

うん、そうだね…でも、

ミナミコ
ミナミコ

そう、「でも」。「でも」、もちろん、誰もの心が平和、というわけじゃなかったです。

 

それを許せない人は、当然いました。

私の母は、父が見るからに「そう」なっていくのを許せませんでした。

 

 

その当時、私は小学生。

たぶん、土曜か日曜だったと思います。両親がいるのに、家の中が明るかったから。

まだ明るい昼間のうちに、両親が喧嘩を始めました。

 

それまでも何回か大きな喧嘩を見たことはありました。

私は記憶力があまりよくないのですが、二回ほどは、両親のどちらかが泣くくらいの喧嘩をしていたのを覚えています。

 

でも、その日の喧嘩は、とうとう二人の関係を終わりに追い込みました。

 

母が、出て行ってしまった。

脇に抱えられる程度の荷物を持って。

わき目も振らずに。娘の私を置いて、出て行ったのです。

 

私は、両親がリビングで喧嘩をしていたのを、隠れて見ていたんだと思います。

それで、母が出ていこうとしたとき、泣き叫びました。

それまでの人生で一番叫んだに違いありません。

きっと近所中に聞こえていたと思います。

 

お母さん、行かないで、って。

 

…。ついていかなかったの?

ミナミコ
ミナミコ

もちろん、ついて行こうとしましたよ。でも、行けなかったんです。

それはなぜ?

 

とっさに母を追いかけて出ていこうとした私を、引き留める手があったんです。

父の手でした。

父が、必死で私を止めていました。

 

無言で。

震える腕で。

 

私を抱きとめる腕は強かった…小学生の私に振りほどけるはずもなく。

私は出て行った母がどこへ行ったのか知らないまま、次第に泣き疲れて、うずくまるしかありませんでした。

 

その日、家族は分裂したんです。

 

…。

ミナミコ
ミナミコ

あはは、どうでしたか?

明るいなあ。そんなに明るい調子で話すの?

ミナミコ
ミナミコ

もちろん、今回お話ししたエピソードも含めて、つらい過去はたくさんありましたよ。でも今、私は幸せに生きてるんです。だから、大丈夫です。

 

このブログは、トランスジェンダーの父に育てられた、「ふつうの娘」による備忘録や雑記です。

今回は「MtF(Male to Female、男性から女性へなりたい人)の娘の追憶」として、エピソード1をご覧いただきました。

ほかにも、追憶のエピソードもありますし、まったく関係のない記事もありますが、ご興味があるものをお読みください。

 

→次の追憶「親権の行方」

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