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こんにちは!フリーライターのミナミコと申します。
トランスジェンダーの父によって育てられた、ちょっと特殊な境遇だっただけの、「ふつうの娘」です!
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やあ、ミナミコ。今日はどんなエピソードなの?
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私のこれまでのお話を聞きたい人は、「カテゴリー:MtF娘の追憶」からご覧くださいね。
今回は、「なぜトランスジェンダーの父に育てられたの?」というエピソードをお話します!
私がトランスジェンダーの父に育てられることになったワケ
私はトランスジェンダーの父に育てられました。
父と母は離婚しました。
母は電車で会いに行ける距離に住んでいます。
母ともたまに会って、旅行などにも行ける、良好な関係を築いています…。
ここまで聞くと、もしかしたら疑問に思われるのかもしれませんね。
トランスジェンダーの父。
シスジェンダーの母。
なんで母親のほうについて行かなかったの、と。
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あれ?でも、それって前の記事で話したよね。
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はい。母が出て行くその時は、父が無理やり私を引き留めました。
小学生だった私には、その場で追いかけられなければ、ほかに縋るすべもありませんでした。
当時ガラケーの時代、そのガラケーすら持ってなかった小学生…
連絡もできない状態で、母を追いかけられるはずもありません。
ああ、じゃあ、無理やり父親に抑えられて、しょうがなく父親に育てられたの?
いいえ。もちろん違います。
そんな強引なことを、許すわけないのが「社会」です。
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ああ、そりゃ、そうだね。親権問題か。
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そうです、父が無理やり引き留めたからって、そのまま終わるわけありません。大人の世界ですから。
両親が離婚した場合、どちらの親が、子どもの育児を受け持つのか?
当然、裁判所の判断次第で親権は移ります。
そして、どちらの親に育てられたいのか。
ある程度の年齢になっているならば、子どもの意思が、尊重される仕組みになっています。
「私は」
さあ、父と母、どちらと暮らす。
「私は」
父と母、どちらと生きたい。
二人の兄は、すでに自分の意思で決めていました。
当時 成人前の長男は、「どうせすぐ自立するから」と、手間を考えて、そのまま父のもとに残ると。
中学生の次男は、母と一緒に家を出ると言いました。
さあ、私は?
どちらを選ぶ。どちらを、捨てる?
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捨てるって…
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でも、そうですよね。選ぶか、捨てるか。小学生の私には、そう感じられました。苦しい選択でした。
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…それで、どうしたの?
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…苦しい選択を、しませんでした。
「選べない…」
それが小学生の私の答えでした。
いえ、今尋ねられても、私は同じ答えを出してしまうと思います。
私は選べませんでした。
父も、母も、子どもと一緒に暮らすことを望んでいる。
私の選択でどちらかを傷つけることになる。そのことが、どうしても…。
よろしい、それでは、裁判をしましょう。
…と、なったのかどうかは、よく知りません。
けれど裁判所に判断が委ねられた、ということを、父から聞きました。
子どもが優柔不断でも、大人が決めてくれる仕組みです。
この仕組みがあって、助かった、と私は思いました。
とにもかくにも、その結果が出るまでの間、私はそのままの家に住まうことになりました。
ここからが私の大変薄情なところですが、母がいなくなって寂しかったのは当然なんですが、一ヶ月もする頃には慣れていました。
思うに、娘が寂しく悲しくならないよう、父が全力でフォローしていたんだと思います。
実家近くの祖母宅で開業医をしている父は、十分に私と遊ぶ時間をとれました。
しょっちゅうドライブに連れて行ってくれたし、学校の自由研究には夜遅くまで付き合ってくれたし、PTAの仕事や授業参観にも出席してくれました。
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すごいね。なんでもできるじゃん。
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ほんとに笑 父のことは今でも超人だと思ってます。
朝ごはんや晩ごはんもいつも作ってくれました。
一人暮らし経験のある父のごはんは、一風変わったものを作ることも多かったですが、ぜんぶ子どもの好みに合わせていたと思います。
また、父は私含む兄妹たちから自由を奪いませんでした。
自分が医者だからといって、子供に「しっかり勉強をしなさい」ということもなく、父自身は特に興味もないゲームや漫画も容認してくれました(もちろん一般的な限度はあったけれど)。
私に「お習字やそろばんに通いなさい」と口酸っぱく言っていたのは母でしたが、それを辞めたいと言っても、父は怒りませんでした。
そもそも、父は母と暮らしている時から、子どもたちに対する愛情が深かったのです。
突然子どもに構うようになったわけではなく、昔から一緒に遊んでくれていました。
だから、私は昔から父と過ごすことが大好きだった…。
そんなふうに日々が過ぎると、裁判ではどうなるか。
親権問題ではどのようになるのか。
親権をとるのに母親のほうが強いと言われるのは、「離婚に至るまでの生活の中で、母親の方が過ごす時間が長いから」です。
この点で、父も母もそう変わりません。
二人とも十分に子どもとの時間をとっていました。
けれど、私たち家族の場合、この判決が決まるまでの間、私は父と暮らしていた。
薄情な私は、笑うことを忘れることもなく、父と笑顔の写真を撮ることがあった…。
母が後からぼやいていました。
「父はずるかったよ」と。
父はどうやら、母が出て行ってからの、私が笑っている写真を、裁判所に提出したらしいです。
それが決め手となり、娘は、父に預けても問題がないとされました。
そのまま私の生活は変わることなく、父と暮らすことになった…。
後から母にその話を聞いた時、私は何も言えませんでした。
父も大好きだけれど、母も大好きだったのに。
どっちにつくか決められなかった私は、結局「笑顔の写真」で母を傷つけました。
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このときのことは、私の頭から永遠に消えません…
これが、私が「MtFの娘」になった経緯。どっちつかずの私が手に入れた立場。
1番手に入れたかったのは、「幸せな夫婦の娘」だけれど。
それでも、薄情な娘は今、幸せに暮らしています。
このブログは、トランスジェンダーの父に育てられた、「ふつうの娘」による備忘録や雑記です。
今回は「MtF(Male to Female、男性から女性へなりたい人)の娘の追憶」として、エピソード2をご覧いただきました。
ほかにも、追憶のエピソードもありますし、まったく関係のない記事もありますが、ご興味があるものをお読みください。
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